乙川に葵桜を植えたい!! それは故三橋美千子(令和2年3月30日逝去、享年81歳)が長年心に抱き続けてきた「もう一度、乙川沿いで桜を見たい」という夢。この夢が動いたのは、国際文化交流を通じて親しくお付き合いをしていた外国人の一言がきっかけでした。
1998年3月、幸田町葵カントリークラブ内に植えられている葵桜(河津桜)を外国人と一緒に見に行き、見事に咲き誇った桜を見ながら、イム・ティアーズさんが言った一言、
「どうしてこんなにきれいな桜の木を、もっとみんなが自由に見られる場所に植えないの?ゴルフをする人しか見られないなんて不公平」。この言葉に触発され、「そうだ、乙川に葵桜を植えよう!市民の力で葵桜の里づくりをしよう!」この瞬間から夢が動き始めました。
自らが言い出しっぺになり、3年以上に渡り行政へ働きかけ、不屈の根性で行政の許可を取り付け、とうとう2001年3月に86名のボランティアのオーナーの皆様と一緒に植樹する日を迎えることになりました。
多くのボランティアの皆様、協力者の皆様、葵桜を愛する市民の皆様に支え続けられ、葵桜は今日のような立派な姿に成長し、毎年ピンク色の美しい花を咲かせて見物客の皆様に喜んでいただける観光名所になり、岡崎100選の景観賞にも選ばれました。
故三橋美千子は自らを「平成の花咲かばあさん」と呼んで、人工透析を続けながら、晩年の人生を桜と共に力強く生き抜きました。この葵桜の景観を、桜の命が尽きるまで皆様に愛される憩いの場所として、皆様が笑顔になれる場所として、みんなで見守り続けて欲しい、それが故人の願いです。